~昔の院外風景~

昔の西神ニュータウン。1枚目は昭和58年の藤原医院、2枚目は昭和60年の糀台を写した航空写真、3~5枚目は昭和61年に西神中央駅を建て始めた時の写真です。

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西神ニュータウンは神戸市西区から須磨区にかけての丘陵地帯に計画された、住宅と産業を中心とする複合機能団地として開発されます。高塚山を切り開いて宅地開発され、昭和57年に西神住宅団地、昭和60年に学園都市、平成5年に西神南ニュータウンが街開きし、当初は三つを合わせて西神ニュータウンと称していました(高塚山は当初垂水区学園都市と西区工業団地内の2か所に小高い山として同じ名前で存在し、西区工業団地内の高塚山は現在高塚山緑地という名称になっています。ですが地元糀台では高塚山と呼んでいます)。しかしいつからか西神住宅団地のことを西神ニュータウンとして呼ぶようになります。西神住宅団地は、昭和57年当時糀台の住宅以外何もなく、唯一プレハブの仮設コープが藤原医院の二軒隣りにありました(写真1枚目)。唯一の食料品店なのでいつも混んでいて、夕方には品薄に。たしか木曜休みだったかで、水曜はすごい人混みでした。そのあと春日台と狩場台ができて、かりばプラザが建てられた後にコープはかすがプラザに移転しました。当時は地下鉄もなく明石駅や名谷駅行きのバスしかありませんでした。5枚目は高塚山の頂上から写した写真です。この下にバス停があってそこから名谷行きが出ていたのです。矢印のところに西神中央駅ができます。そのあと駅前にハンバーガーショップのドムドムと小さいダイエーができました。まもなく昭和62年に西神中央駅と平成元年にプレンティができました。プレンティ前の広場でデビューしたばかりのSMAPや男闘呼組がコンサートを行っていて、すごい数のお客さんがいたことを覚えています。平成2年には西神そごうができます。そのあと平成5年に西神南ニュータウンができて、西神南にはアリバシティという遊園地もありました。今はなくなって跡地にカインズホームができています。西神周辺もずいぶん変わってきたのですね。

西神ニュータウンの歴史や土地の由来などをもっと詳しく知りたい方には必読の一冊、西神ニュータウン物語です。西図書館にも置いてありますので是非一度お読みいただければ。

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